地域に根ざした研究

国立大学はアメリカにはない、という話をさっき家内としていたが、アメリカでは公立大学というのは大体は州立大学である。市立の大学もあるけれど合衆国立というのはない。国立研究所はありますが。
日本の国立大学は、7つの旧帝国大学ナンバースクール新制大学などと小さな国土にひしめいていてしかも、ここを出ることが出世につながる。アメリカではニューヨーク州立大学を出た人が出世しているというわけではなさそう。ハーバード、エール大、コーネル大などの名門も私立だし、西の名門スタンフォードも私立。そういう私立に対応しそうなのは日本では早慶ぐらいなように思うけれど、どうでしょうか。
そういうことを、ツラツラ書いているのも、高知大学ではなにをすればいいのかということです。国立大学だから安泰ということではないよ、という状況が迫ってきています。むしろ、米国のように州立大学=県立大学(若しくは将来の道州制の道州立?)ならば、州に役立つ実学をやらなきゃという認識が芽生えやすいのでしょうけれど、地方にある国立大学では、あまり地方に役立つ実学ではなさそうです。教員たちは自分の研究を究めることを勿論推し進めるべきだと思うのだが、ただ、穴を掘って行っていればよいということでは、折角の理論を実際にためしてみる機会を失う。周りに住んでいる人たちも、実はおらが町の大学病院に、自分が罹ってしまった病気についての日本一の名医がいるということを知らずにわざわざ東京の大病院に通っていたりする人もいる。
地域に残る医師が少ない、地方大学に優秀な研究者が来ない、というのは今までのすべてのものが都市に集中する時代からすれば、当然の帰結だが、経済の世界を見ても一極集中ということの危うさが米国に端を発した経済危機、大企業の業績転落など、違った形を目指すべきだという声が聞こえるようだ。ナンバーワンではなく、オンリーワンというSMAPが歌っていた歌やレッドオーシャンではなくブルーオーシャン市場を目指すという戦略。これこそがこれから道を開いていく者が取る戦略だろう。わたしのモットーの鶏口牛後にもなんか似てるな。それには圧倒的な技術力、情報量、情報分析能力、ノウハウなどのどれかが必要だと思う。
それさえあれば、規模が小さいことが却って、強みとなる。売り上げ至上主義を取らなくても、丁度良い経営規模を目指す経営。そういう研究室の運営をしていく必要がありそうだ。その延長に地方大学の運営もあるのだろう。この規模を生かし、この大学で培ってきた技術・研究内容を実学として生かす道。そして、それを発展させる新しい考え方、視点。「そういうこと研究したいのなら高知大学が面白いことやってるぞ」と高校の先生が進めてくれるような大学にできればいいなあ。
チェーン店の有名レストランよりは、親父の代から(これが何代も続けられるとすごいんでしょうが)ガンコに味を受け継いでるうなぎ屋というほうが入ってみたくなるでしょう?