緩和医療

今日は家庭医療学の阿波谷先生のお招きで淀川キリスト教病院ホスピスの池永昌之先生の講演に参加した。全体の概念から、告知、疼痛対策、輸液の可否など技術的な面、心理的な面など多岐にわたる内容を整理して語られた。妹と友人の奥さんが最期をホスピスで迎えたため、個人的な経験を思い返していたが、何人もの緩和ケアを積み重ねて経験から一般化して整理されていて、もう少し早い段階で緩和ケア病棟のスタッフと話をしてみたらよかったのかなと思う部分もあった。妹のときはそれこそあと2,3日というときにホスピスを訪ねたので、やや後悔もある。でも、その経験は友人の時には多少役に立ったように思う。スピリチュアルペインという言葉が出てきて、自分の意味や価値に関する問いかけがでてくるのだという話があった。これを癒すには人格的な交流や宗教によらずには癒されないということだった。無宗教的な傾向の強い日本人一般には理解しがたいかもしれないが、わたしも2つの経験から、特定の宗教によらなくても、また、宗教の形を取らなくても、この部分に対するケアが必要なのではないかと感じていた。大学生時代に読んだキュブラー・ロスの「死ぬ瞬間」という本は、こういう話題の時にいつも思い浮かべる本で、恐らく緩和ケア病棟のスタッフはこのぐらいの勉強は当然しているのだろうけれど、そういう面でのサポートは十分ではなかった。ただ、講演の中で強調された、解決できない問題であっても、見捨てずに正面から向き合っていく姿勢こそが重要というメッセージは大変心に響いたし、その姿勢があってこそ、いろいろな技術も生きてくるのだろう。医師の究極の姿勢を再認識させられたように思う。