疫学講義1

疫学は公衆衛生の固有の方法論である。公衆衛生が人間集団の健康問題に取り組むことを考えると、人間集団の疾病の頻度と分布から決定要因を探求する学問(Last)である疫学は必須の方法論である。臨床医がある一人の患者を観察し、問診し、聴診器をあて、触診をしながら、健康状態を知り、異常を見出して、その原因を知ろうとするのと同じように、公衆衛生医は、疫学という聴診器を用いて、人間集団の健康問題の重大さを把握し、その原因を探ろうとするのである。
 疫学は大別すると、記述疫学と分析疫学とに分かれる。記述疫学は頻度と分布を把握することを目的としたもので、人・時・場所ということに注目して人間集団における疾病を記述する。一方、分析疫学は決定要因を探求することを目的としており、その要因と疾病との統計学的関連(statistical association)を検定し、因果関係を推論(causal infer)する。

ロンドンのスノウ

 例として、コッホによるコレラ菌発見以前のロンドンでコレラの流行を終息させたジョン・スノウ(John Snow)の活躍を見てみよう。1840年代当時のロンドンでは、教区牧師であったグラントなどの先見性により死亡統計が取られ、国家レベルでの人口動態も把握できる状況になってきていた。地域ごとの人口が把握できていたことが、後に述べるスノウの疫学調査を可能にしたともいえる。
 スノウは度々起こるコレラの集団発生に興味を抱き、様々な考察を行なっていた。彼は当時常識であった瘴気説を採らず、コレラは病原体による疾病であると考えていた。彼の興味は病原体が体内に入ってくる経路であった。コレラによる死者の住所を地図上にプロットしていた彼は集積(cluster)に気づく。集積のある地域と集積のない地域の詳細な比較を行なった彼の結論は、ブロード街の死亡者の集積地域にある上水道のポンプを除去することであった。多くの反対を押し切り、ポンプを除去したところロンドンのコレラの流行は終息したのである。
 後日彼はさらに詳細な検討を加えた。即ち、上水道の給水会社であるSouthwalk & Vauxhall とLambethのそれぞれにより給水されている地域毎に死亡者数を比較した。死亡率は本来ならば住民数で割るべきだが、世帯数で代用している。給水会社により死亡率に大きな差があることが分かる。
 スノウの疫学調査は疫学の概念が未だ明確に定まっていなかった時代において、論理的に集団発生を記述し、あらゆる可能性を検討した結果として見出されたものであった。そして、この調査の中に記述疫学と分析疫学の要点を見出すことができる。

疫学研究のデザイン

疫学研究は上述のように記述疫学と分析疫学に大別できるが、それぞれの疫学研究を遂行するにあたり、いくつかの研究デザインが存在する。研究デザインにより長所と短所があり、研究対象や目的に応じて使い分ける必要がある。
 記述疫学の研究デザインとして、最も単純なものは症例報告(case report)である。これは通常、臨床医が最初に行なう研究報告である。数例をまとめて報告する症例報告(case series)が、その発展形である。これらは疾病を有する症例のみを対象とした報告であるが、疾病の頻度を定量化しようとすると、疾病を持つリスクのある集団(population at risk)を明確にして、その中での疾病頻度を記述することが必要に成る。横断研究はこの目的でなされるもので、一時点での疾病の頻度(有病率)を測定できるので記述疫学の中では有用性の高いものである。
 分析疫学は、二つの集団について曝露要因と疾病の二つの変数について測定することで因果関係を明らかにしようとする研究デザインである。曝露要因に注目して曝露要因のある群と無い群の2群について一定期間追跡し、それぞれの集団での疾病の頻度を測定しようとするのがコホート調査(cohort study)である。この調査はコホート設定時に疾病が無いことを確認して調査を開始するので、この2つの集団においての疾病の発生率がわかる。しかし、コホートを設定し維持することは、時間、経費、人員の面で負担が大きい。症例対照研究(case-control study)は疾病の有無に注目することでこの点を解決した研究デザインであり、これによって非常に短期間に因果関係の推論を行えるようになった。肺癌とタバコについての最初の分析疫学的研究はこの方法による。症例対照研究を遂行する上で、必須であるのが曝露要因の測定の技術である。曝露要因の測定は物理化学的な手法で測定可能なものもあるが、研究デザインの性格上、過去の曝露の測定が必要であるため対面調査や自記式調査などの手法によることが多い。この際に思い出しバイアスなどの系統誤差(systematic error)を如何に制御するかが問題になる。
 臨床治験に代表される比較試験(control study)はコホート調査の応用であるが、最も異なる点は曝露を調査者自身が決定して与えていることである。この曝露のことを介入ともいうので、比較試験は介入研究とも呼ばれる。従って、倫理的側面を無視してはこの種の研究を遂行することはできない。また、調査者が曝露要因Aとその効果についての仮説をもっているので、調査者と測定者を別々にすること、調査者がプラシーボを用いるなどしてどちらが曝露要因Aでどちらがプラシーボかを知ることができないようブラインドを行う。また、系統誤差を制御するために、曝露を与えるか否かについて無作為化を行う必要がある。