斉藤孝、梅田望夫「私塾のすすめ」

梅田氏の「ウェブ進化論」は以前取り上げたが、最近出た斉藤孝との対談集、「私塾のすすめ」が中々面白い。私塾というと私も昔からあこがれていて、小説日本興業銀行に登場する中山素平氏が私塾をやっていて自宅に部下たちが集まってきておにぎり代500円を徴収して、奥さんがその部下に料理を振舞っていたという話があった。それを倣って、福井でのUSMLE勉強会にはうちの上さんのおにぎりが出たりしていたものだ。私塾の何がいいのか。学問体系を習うためには出来上がった教科書を読んでいくのが正確なのかもしれないが、それだけでは共鳴しあうようなものは中々得がたい。学生時代にも私はときどき今選んでいる専門分野の教授や助教授に限らず、いろいろな先生の研究室に質問に出かけたものだが、一番頻繁に通ったのは、衛生学と公衆衛生学の教授室、助教授室だった。そこで別に衛生学の話をしているわけでもないのだが、自分でいろいろと考えたことを教授や助教授に投げかけて、意見を言ってもらえるのが実に充実感のあるものだった。
こんな妙なことを考えることができるもの大学などという自由な環境にいるからで、そういう意味では大変に恵まれていると思う。しかし、梅田さんは「大学の先生にならないかというオファーは悉く断っている」そうで、「ウェブでの私塾を作った」人として30年後ぐらいにやっと理解してもらえればよいのだそうだ。この30年後ぐらいにやっとというような未来を開くような仕事を私もしてみたいと教授就任の時に思ったので、この梅田さんにはなにか大変縁があるように感じてならない。ある人から、「その30年後にようやく理解されるような仕事というのはどういうことを考えているんですか」と聞かれたが、その時はあまり定かではなかった。それがこの札幌の学会で(正確には学会後に会った友人との会話の中で)少し形が見えてきたような気がする。
目標をイメージするというのはいろいろな成功哲学の本に必ず出てくる話だが、私も少なからず、そういうことをしてきた。「39歳までに組織のトップになる」という本を読んだのは35歳ぐらいのことだったろうか、それからおぼろげながらも、39歳までに独立をと考えてきた。教授をという風に考えたのはここ2,3年のことでベンチャー企業を立ち上げようかと考えたこともある。今度の30年経ってようやくというような目標については、年余をかけて形を作り色付けしたいものだ。
学生時代に出入りしていた恩師の話していた様子を思い起こすと、教授というのは大きな絵を描いて色付けし、これに共鳴・共感する同門の学者や実働部隊とともにその絵というか設計図を現実のものにしていくというのが仕事だろうと思う。その絵をどう描けるか、その絵を描いていくための同門会セミナーを毎年開催できたらと思っている。