山下泰裕氏紫綬褒章

目標とする人、モデルになる人というのは同じ職業よりも違った職業のほうがいいかもしれない。僕の目標というよりヒーローといえば江夏豊もそうだが、なんと言っても山下泰裕だ。ロサンジェルスオリンピックでの決勝戦で、肉離れを起こした山下の足を狙わなかったエジプトのラシュワンの武士道精神も立派だった。遠藤の弟子の蟹バサミでの骨折後、入院中も腕のトレーニングを欠かさなかった話や試合前のイメージトレーニングで相手のあらゆる出方を想定しても必ず自分が勝ってしまうという状況で実際の試合に挑んでいたという話など修行の末に非常な高みにいる武道の達人という雰囲気を持っていた。この話は試合中肩の辺りに影法師がついてきて、その指示するままに技を出していくと気付いたときには勝っていたという木村政彦の話にも似たところがある。山下の弟子の井上康生は今かなりの壁にぶち当たっているがこれを突き抜けるとそういう高みに達するのかもしれない。
 克己心というものを持たなければ、自分を高めることはできないのだろうが、日常の業務の中でそれを維持するのは難しい。ともすれば環境に流されそうになる。大学の研究者は自分の興味にしたがって研究をするのが仕事だが、その研究にしても時流に乗らなければ研究費がもらえなかったり、人が評価してくれなかったりするので、打算的になってしまうこともある。そういうときにモデルにすべきなのは、成功している同業者ではなく、克己心の塊のような自分のヒーローではないかと思う。山下の試合のときの姿は美しかった。左自然体が崩れることは殆ど無かった。その美しい姿勢から繰り出される技は常に正面きってかける技であり、彼の潔さがにじみ出ていた。恵まれた体格や運動神経という天賦のものはさることながら、その鉄壁の肉体に日本の精神が宿っていたのだと思う。内村鑑三の「

対訳・代表的日本人

対訳・代表的日本人

」を現代で再編集するならばその中に加えるべき一人だと思う。