感染症

II.感染症疫学
感染症は疾病の成立を考える上で、最も単純なモデルといえる。病原微生物と感染経路、宿主の3要素で大体の説明がなされる。
感染症の公衆衛生的管理:微生物学寄生虫病学などでの興味の中心は、ある病原微生物が、どのような性状を持ち、病原因子は何か、どの程度の毒力を持つのかという点にある。しかし、公衆衛生では、特定の人間集団において、ある感染症がどのような頻度・分布を示すかを記述し、これから感染に影響を与える決定要因や感染の危険集団(population at risk)を特定し、必要な対策を講じて感染症の集団発生を未然に防ぐこと、また、発生した集団発生を終息させ、将来の発生を防ぐことに重点が置かれる。
感染症法成立の背景:従来は伝染病予防法、性病予防法、らい予防法、AIDS予防法などの複数の法律によっていたが、新興再興感染症の出現、医療水準の進歩、人権尊重の要請、国際化などを受け、感染症法が制定され総合的に公衆衛生的方策を行なようになった。事前対応型行政の構築、感染症類型、人権を尊重した入院手続きなどに特徴がある。なお、感染症法は重症急性呼吸器症候群SARS)の流行を受けてH15年改正され、SARS天然痘が1類感染症(4つのウイルス性出血熱とペスト)に追加された。情報の迅速な収集・公開により発生・拡大を防止すべき感染症として新たに5類感染症が設定された。(P128)
サーベイランス
一般に、疾病の発生を持続的に観測し、そのデータを集積・分析し、必要な機関に還元することにより疾病管理に資する公衆衛生活動をサーベイランスという。サーベイランスに用いられるデータは各種様々であり、インフルエンザのウイルス分離、豚の日本脳炎抗体調査、百日咳、ジフテリア、麻疹の年齢階級別抗体保有状況調査などが行われている。また、4類・5類感染症サーベイランス(発生動向調査)の対象であり、全症例を登録することが義務付けられている疾患(全数把握疾患)と定点 (sentinel)届出疾患がある。これらは感染症法によってその対象疾病が定められている。
積極的疫学調査
感染症の集団発生は様々な要因が絡み合って起こるが、いったん起こった場合には、その拡大を防ぎ、短期間のうちに終息を図るべく、原因究明の調査が行われる。これが積極的疫学調査である。この調査には疫学の専門家が指揮を執るべきであるが、重要なのは保健所などの公的機関、微生物学の専門家、臨床医、行政担当者、広報担当者などのチームを編成して対応する。このときにリーダーを明確にしておくことが重要である。
食中毒では、汚染された食品を食べた人のみが感染し、一峰性の流行曲線を示して集団発生が終息することが多いが、潜伏期間の長い疾患などでは曝露した食品が分からない間も、他の人たちが曝露を受け続けたり、感染力の強い病原体では二次感染を起こし二峰性の分布を示し集団発生が拡大することがある。そのため、初動調査で十分な情報を集め、疫学的な原因究明が重要である。同一の食事を多数の人間が食べて同時に感染した場合の調査では、その集団全員に対する喫食調査で原因食品を特定しうる。これに対して、複数の家族で摂食した食品が汚染されていた場合、患者群に対する調査はもとより、地域・年齢・性別で患者に類似した対照群を設定し比較調査(症例対照研究)することで原因を究明する。
予防接種
公衆衛生上の感染症管理の重要なものの1つが予防接種による疾病の一次予防である。すべての感染症で予防接種が可能なわけではないが、重要な疾病で予防接種が可能なものについては集団防衛と個人防衛の両面から積極的に接種すべきである。H6年の改正により、個人防衛が優先されるようになり、義務接種から勧奨接種へと変わった。勿論、集団防衛の観点はあるため、予防接種に起因する健康被害救済制度を存続させ国の責任で救済する。
しかし、予防接種についてはその副反応による障害や死亡の可能性が不安材料となり、予防接種の接種率は近年低迷している。特に、麻疹・おたふく風邪・風疹の三種混合ワクチンであるMMRについては、重大な副反応のため現在では使用されていない。現在の麻疹ワクチンの接種率は70%程度であり、いまだに、日本は麻疹蔓延国として、国際的には警戒地域のひとつとなっている。麻疹の根絶には95%以上の接種率が必要であり、未接種者にペナルティを与えてほぼ麻疹を根絶に追い込んだ米国型の対策が必要かもしれない。なお、活動性結核患者、高熱のある者、鶏卵アレルギー、妊婦、白血病、リンパ腫、先天性免疫異常、免疫抑制剤を服用中の者などは接種不適当者(禁忌)であり麻疹の予防が必要な場合はガンマグロブリンを用いる。インフルエンザの予防接種についても、副反応に対する不安感から予防接種を受ける人が少なく、近年、流行年に多くの老人がインフルエンザで死亡した。従来の2回法による接種を止め、一回法での接種を励行し接種率の増加をみた。インフルエンザワクチンの感染予防効果は通常7,80%とされる。予防接種法においても定期外接種として65歳以上の老人が対象となっている。
検疫(quarantine)
昔イタリアでペスト予防のために40日間入港する船を繋留したのが始まりである。国内には常在しない病原体が海外より持ち込まれて流行する外来感染症に対して港湾、空港、国境などで検疫が行なわれる。検疫法の一部改正により従来からの3疾患(コレラ、ペスト、黄熱)に加え1類感染症の中の4つのウイルス出血熱が検疫感染症に加えられた。H15年に新たにSARS、痘瘡、デング熱マラリアが加わり、また、検疫官の権限が強化された。
食中毒
1997年における12人の死者を出した腸管出血性大腸菌(EHEC)O157の食中毒事件以来、その重要性が再認識された。O157による食中毒は毎年3000人程度である。我が国での食中毒患者数は毎年3、4万人であり、細菌による食中毒が多い。特に、サルモネラ腸炎ビブリオカンピロバクターによるものが全体の6割程度を占める。
新興再興感染症
1980年代以降、新たに発見された感染症を新興感染症、以前からあったが、最近流行しているものを再興感染症という。重要な疾患を例示する。
1.結核
飛沫核感染により感染する。感染はツベルクリン反応により診断可能だが、我が国ではBCG接種が行なわれているため、解釈が難しい。前回のツ反に比べ発赤径が20mm以上増大しており、且つ、直径30mm以上のものは感染の可能性が高い。肺結核の発病は胸部X線写真によって診断できる。結核は昭和25年に146.4人(10万対)であった死亡率が、長年減少傾向にあったが平成9年以降2.2前後で横ばいとなっている。H14年の新規登録患者数は32,828人であり、その内36.4%が塗沫陽性肺結核患者であった。罹患率は25.8(10万対)であった。結核登録者数は91,395人で有病率は28.5(10万対)であった。結核予防法に基づき、健康診断、予防接種(BCG)、患者管理、結核医療がなされている。定期健康診断は学校や事業場で行なわれるが、初発患者に対しての調査や接触者検診は保健所が行う。H16年6月に健康診断の対象者見直し、BCG接種前のツ反の廃止、保健所・主治医によるDOTSの実施、国、地方公共団体の責務規定の整備、国・都道府県の結核対策計画策定、結核審査協議会の見直しを柱とした結核予防法の大改正が成立した(H17年4月施行)。
2.エイズ
HIV感染は①性行為感染、②経静脈感染、③垂直感染のいずれかにより起こる。我が国では、現在までに5929人の感染者が届け出られており、AIDS患者が2960人である。既に、1315人が亡くなった。日本人男性の感染者数の増加が目立ち、ほとんどが性行為感染である。性感染症に対する総合的な予防対策が必要である。淋病様疾患、陰部クラミジアの漸増はHIV感染のリスク集団の増加を意味している。H8年以降、HIV感染者の報告件数は増加傾向にあり、H15年の報告件数は640人、エイズ患者は336人と過去最高であった。検査に当たっては人権尊重が重要であるが、カクテル療法の普及により予後は改善しているので早期診断・治療が重要である。
3.ウイルス肝炎
糞口感染であるA型肝炎、E型肝炎と経静脈感染であるB型肝炎C型肝炎、D型肝炎、G型肝炎、TTVがある。性的活動性の高い時期の血中ウイルス量の関係からB型肝炎以外では性行為感染はあまり重要でない。B型肝炎の垂直感染については、キャリア妊婦の出産児に対しHBIGとHBワクチンの投与により感染防止可能である。これらのウイルス肝炎の中で持続感染の可能性があるものはB型肝炎C型肝炎であり、前者は垂直感染か乳児期での感染以外は慢性化しないが、後者は感染者の多くがキャリアとなり慢性肝炎を呈する。
4.重症急性呼吸器症候群SARS
中国広東省を発端にベトナム、香港、カナダ、ドイツ、シンガポールで流行したSARSコロナウイルスによる感染症である。感染経路は飛沫感染接触感染であると考えられている。潜伏期間は2−7日、最大で10日以内である。急激な発熱、咳で発症しインフルエンザ様の症状を呈する。数日で下気道症状が現れ、胸部X線検査で肺炎像を呈する。肺炎になったものの80−90%は1週間程度で回復傾向になるが、残りはARDSを呈する。致死率は10%前後である。